健康問題悪化の中、北朝鮮拉致被害者の高齢の母親が再会を待つ






2023年10月27日、神奈川県川崎市で共同通信のインタビューに答える横田早紀江さん。 (共同)

川崎(共同通信)-横田早紀江さん(87)は、45年前、13歳のときに日本で拉致され北朝鮮に連れて行かれた娘のめぐみさんに会う機会を奪われ、時が経つことへの不安を募らせている。 。

しばらくの間、彼女は多忙なスケジュールを優先し、拉致問題への意識を高め、日本政府に行動を起こすよう促す活動に多くの時間を費やし、健康を無視することが多かった。 しかし、2023 年 2 月 28 日、突然方向感覚を失い、嘔吐し、失神し始めたとき、彼女はついに自分の健康が危険にさらされているかもしれないことに気づきました。

動悸と視界のかすみがますます強くなり、彼女は近所の人たちの助けが必要だと思い、東京郊外の川崎にある自宅の玄関まで歩いた。

しかし、敷居のところで、彼女は胸に強い圧迫感を感じて倒れてしまいました。 「もしかしたら、これが最後かもしれない」と彼女は思い、なんとか息を吐き出しながら、「神様、どうかあと2年生きさせてください。これからも頑張ります」と言いました。

彼女が祈って待っていると、鼓動は治まり始め、視力も戻りました。 彼女はなんとか家を出てタクシーに乗って病院に行き、最終的に動脈ステントを挿入する手術を受けることになった。

入院して手術を受けたのは今回が初めてだった。

横田氏は共同通信との最近のインタビューで、「なぜ『2年』と言ったのか分からない」と語った。 「私はもう87歳で、もう長くは生きられないと思うので、おそらくその時はあと2年くらいは生きられるだろうとすぐに思ったのでしょう。」

1970年代から1980年代にかけて北朝鮮に拉致された日本人の象徴であるめぐみさんは、1977年に日本海沿岸にある新潟高校でバドミントンの練習から帰宅する途中に拉致されて以来、その運命は不明のままだ。

合計17人の日本人が拉致被害者として正式にリストされている。 北朝鮮は、拉致被害者をスパイに日本語や文化を教えたり、スパイ活動を行えるよう身元を盗んだりするために利用したと伝えられている。

横田さんは、2020年に拉致被害者を連れ戻す運動を共に主導した夫の茂さんが亡くなってから、現在は川崎の自宅で一人暮らしをしている。かつて茂さんが率いていた拉致被害者の家族の会は、現在は次のような人物が率いている。彼らの双子の息子たち。

虚弱性や物忘れなど、加齢による影響を意識せざるを得なかったが、娘を救いたいという強い決意が彼女を前に進める原動力となったようだという。

「彼女が元気で抵抗しなければ、北朝鮮は彼女に過酷な任務を強制できるかもしれないと思う」と横田氏は語った。 「私はいつも彼女の声を聞いたり、彼女の写真や何かを見たいと思っています。」

彼女のリビングルームには、めぐみさんが20代の頃に北朝鮮で撮影した写真と、めぐみさんと韓国に拉致された韓国人の金永南さんとの間に生まれたキム・ウンギョンさんの写真が飾られている。

横田さんは「(めぐみの)若い頃より、大人になった今の写真が見たいと思う。たとえその後何が起こったのかは不明のままでも、彼女がその年齢まで成長したと知ると少し安心する」と語った。 59歳と思われる娘の話。

2002年、当時の日本の首相・小泉純一郎が平壌で当時の北朝鮮指導者・金正日と会談し、国交のない両国間で初の首脳会談が行われた後、5人の拉致被害者が日本に帰国した。

その中にめぐみさんは含まれておらず、北朝鮮はめぐみさんが娘を出産後に自殺したと主張した。

小泉氏は2004年に平壌に帰国し、北朝鮮はめぐみさんのものであるとして火葬された遺骨を引き渡した。 しかし、日本政府はDNA鑑定を引用し、遺骨は彼のものではないと発表した。

10年後、横田さんと夫はモンゴルでキム・ウンギョンさんと曾孫娘に会う機会を得た。これは数十年にわたる悲痛な経験の中で、めったにない喜びの瞬間だった。

横田夫妻は長年にわたり、めぐみさんや他の被害者を連れ戻すために精力的に活動し、全国を旅して1,400回以上の演説をしたり、政府に行動を起こすよう積極的に請願活動を行ったりしてきた。

彼らはまた、横田早紀江氏が4人の米国大統領、最近ではジョー・バイデン氏と会談するなど、自らの窮状を海外に宣伝しようとしている。 彼女はまた、米国議会のパネルで証言し、ジュネーブの国連人権作業部会でも講演した。

夫の死後も、この問題への関心を集めるために集会などで講演を続けた。

しかし、実質的な進展は見られず、横田さんは不満を抱いた。

彼女は、拉致問題の進展は日本政府と日朝首脳会談の開催にかかっていると強く信じている。

横田氏は「首相が(北朝鮮の指導者)金正恩氏にすら面会できないのは非常に腹立たしい」と語った。

「首相は日本国民を守ると言ってこの仕事に就いた。政府はもっと努力し、政治家は拉致問題の解決に向けて積極的に議論しなければならない」と述べた。

2021年10月に就任した日本の岸田文雄首相は、金正恩氏との直接対話に意欲を示しており、いかなる首脳会談も進展をもたらすべきだと主張するのではなく、「前提条件なしで」そうするつもりだと繰り返し述べている。誘拐問題について。

関係筋によると、日本当局は今春、北朝鮮側と数回非公式接触を行った。

しかし、北朝鮮による度重なる弾道ミサイル発射による地域の安全保障環境の悪化により、長年の懸案をめぐるいかなる交渉も困難になっている。 北朝鮮はまた、拉致問題は解決され、もはや拉致被害者を拘束していないとも主張している。

横田さんは再会の日まで体調を整えようと決意しているが、めぐみさんも同じことを望んでいるかもしれない。

2002年に日本に帰国した5人の拉致被害者の一人である曽我ひとみさん(64歳)は、最近の同窓会で、北朝鮮でめぐみさんと過ごした数カ月の思い出を語った。 曽我さんは1978年に母親の曽我三好さんとともに新潟県から誘拐された。

曽我さんは、北朝鮮の監督官に気づかれないように、めぐみさんと日本の歌「もみじ」を静かに歌っていたと回想した。 彼女はまた、一緒にアイスクリームを食べるという珍しいご馳走も楽しんだと語った。

司会者から、この際めぐみさんが家族にどんなメッセージを伝えるかと問われると、曽我さんは「一言で言えば、『お母さん、そして愛する家族の皆さん、お元気ですか?これからもずっと元気でいてください』ということです」と答えた。 めぐみさんはずっとその気持ちを持ち続けていたと思います。」

smith

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です